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不思議体験

とくのしんさんによる不思議体験にまつわる怖い話の投稿です

板倉浩司には何もない。
長編 2024/06/04 09:41 2,085view
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板倉浩司は大学卒業後、大手広告代理店に入社し、多くの実績を残してきた。出世コース街道に乗り、社内でも一目置かれる存在だった。仕事一筋だった彼に転機が訪れたのは入社から10年程経った頃。

突如舞い込んだ見合い話に、当初浩司は難色を示した。だが、世話になっている上司からの紹介と先方の女性が浩司を気に入ったということから、彼は渋々見合いを承諾した。ひとまず上司の顔を立て見合いに臨んだ浩司であったが、そこからとんとん拍子に結婚まで話が進むことになる。

相手の美穂は見た目も性格も普通、全てにおいて可もなく不可もなくといった印象であった。当初、浩司はそんな彼女に惹かれることはなかったが、上司からの紹介という側面から断るに断れず、ズルズルと結婚まで行きついてしまった。

とはいえ浩司自身、仕事一筋人間ということで恋愛には無頓着である。何より女性との出会いの場に積極的に出向くタイプではない。ましてや女性との交際を疎ましく感じる程であるが、自身の年齢を考えたとき、これを逃すと結婚がさらに縁遠くなってしまうかもしれないという思いもあり、相手には失礼と思いつつも結婚に前向きとなった。

結婚してからも浩司は仕事一筋というライフスタイルが変わることはなかった。元々、恋愛の末に結ばれた相手ではない。世間体や、上司への配慮の末の結婚である。だから結婚を機に仕事を辞め、専業主婦となる美穂を気遣うことは少なかった。週2回のゴミ捨てが浩司の担当となった程度で、それ以外の家事を美穂が行っていた。そんな生活が1年続いたある日、美穂が妊娠したことを浩司に告げる。

自身が父親になることなど想像もしていなかったことから、浩司は喜びよりも戸惑いが強かったという。美穂の妊娠を知ってからも浩司は仕事に明け暮れた。妊娠してからも美穂は献身的に浩司を支えた。つわりが酷く立っているのもままならぬ時も、仕事に支障が出てはいけないとしっかりと家事をこなしていた。仕事柄、帰宅時間が午前様を回ることが珍しくない浩司が帰宅するまで、自身は眠らずにただひたすらに帰りを待っていた。

そんな美穂の献身的な姿を見て、徐々に浩司は美穂に対して情愛が湧き始めていた。しかし、これまでまともな恋愛経験すら持たぬ浩司にとって、どう愛情表現をしていいものかわかるはずもない。ただ不器用に接することしかできないまま、月日は流れついに待望の女の子が生まれた。

咲と名付けた女の子はすくすくと成長し、気が付けば3歳を迎えていた。その頃の浩司は大きなプロジェクトを抱えており、以前よりもずっと多忙な毎日を送っていた。美穂と咲の顔をまともに見る日なんてないほどに忙しかった。

そんな浩司に対し、美穂は変わらぬ献身ぶりで支えていた。家庭のこと、子供のこと、浩司を頼ることなく、浩司がしっかりと仕事に向き合えるよう美穂は家庭を守っていた。咲もまっすぐ素直にすくすくと成長し、接する時間が少なくとも浩司に非常に懐いていた。

ある日のこと。

上司に呼び出された浩司に、美穂と先が交通事故で病院に運ばれたことを告げられる。買い物途中、自転車に乗った二人を居眠り運転のトラックが襲った。急ぎ駆け付けたときには既に二人は帰らぬ人となっていた。

浩司は事を受け入れられぬまま自宅に戻った。
いつものように玄関を開けるがもちろん誰もいない。真っ暗な玄関、真っ暗な廊下、奥に続くリビングにも明かりはない。いつもなら遅く帰ってもリビングには小さな明かりが灯っており、小さな声で「おかえりなさい」と美穂が出迎えてくれた。早く帰宅したときには咲と美穂が元気よく「パパ!おかえりなさい!」と帰りを喜んでくれた。

しかしどうだろう。浩司の目の前には暗い暗い闇が広がるだけ。失意の中、部屋に電気を点けてリビングのソファに腰を下ろした。何をどう考えたら・・・何をどう理解していいかわからない。そんな茫然自失とする彼の目に、綺麗に片づけてある咲のおもちゃ箱、綺麗に畳まれた洗濯物などが映った。ほんの今朝までのありきたりな日常がそこにあった。そんな日常がいかに幸せだったか。彼はそんなことを考えたことはなかったが、失って初めてその大きなを知った。浩司は泣き叫んだ。深い悲しみと絶望に押しつぶされそうになっていた。

二人の笑顔が脳裏に蘇る。何故もっと二人に向き合ってこなかったのか、なんでもっと二人を大切にしてやれなかったのか、本当はわかっていた。家族を大事にしなければいけないことは。仕事を理由にそれから逃げていたのだ。家庭のことは美穂に押し付け、咲の子育てなんかまともにしたこともない。オムツ一つ替えたこともない。それでも文句一つ言わなかった美穂に対して、そんな父親らしいことを何一つしてこなかった自分を「パパ」と嬉しそうに呼んでくれる咲から逃げていた自分を悔いた。

悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて・・・

浩司は失意のどん底に墜ちた。
仕事を辞め、家に引きこもるようになった。
家の中を片付ける気にもなれず、二人が亡くなったまま手つかずになっていた。そんな生活が1ヵ月程続いたある日、寝室の棚にあったノートを見つけた。それは美穂の日記であった。浩司は思った。きっとこれには自分に対する恨みつらみが綴られているのだと。
仕事を言い訳に家庭を蔑ろにしてきた自分への罰だと・・・それを受け入れるべくノートを開いた。

そこには浩司への感謝が綴られていた。見合いから結婚、出産、育児の毎日。大変だけど浩司と結婚できたこと、彼が凄く不器用な人間だけど、本当は心優しい人だということ。美穂にとって浩司がどれほど素敵な夫なのかということ、浩司との間に生まれた咲がどれほど愛しいかが書き綴られていた。

それを読み、浩司は自身がどれほど愛されていたかを理解した。と、同時にそんな美穂がもう戻ってこない現実を突きつけられ、自身も後を追うことを決意した。

せめて死んで二人のもとへ行こうと彼は樹海へと向かう。樹海に入り、浩司は奥へ奥へと進んだ。先にここに入った自殺志願者のものであろうか、多数の遺品が落ちていた。そこで生活していたのかテントもあった。正常であれば不気味で近寄れないような場所であるが、死を覚悟した浩司にはそんな感情はついてこなかった。

樹海に入りしばらく徘徊を続けていたが、いざ死ぬとなるとなかなか踏ん切りがつかない。あたりは薄暗く、来た道を戻ろうにもあてもなく歩いたため戻るに戻れない。仕方なく近くにあった無人のテントで一夜を過ごすことにした。

あたりは真っ暗になり、浩司は持参したランタンに火を灯した。灯りを眺めながら、もう一度死ぬことについて考えた。生きていても仕方ない・・・そう思いながらスマホに残る家族写真や美穂と咲の写真を眺めていた。涙が止まらなかった。どれほど想っても二人は戻ってこない。その辛さ悲しさ空しさが、浩司を絶望へと進ませた。

浩司が悲しみに暮れていると、テントの外から足音が聞こえた。その足音は段々と自身がいるテントにまっすぐに向かってくる。怖さは無かった。真夜中の樹海のなかで自分に迫る足音など恐怖の何物でもないが、今の浩司にとってそれは重要なことではない。もし、仮に自分を殺そうと向かってきてるのであれば、死ぬ手間が省ける・・・そんなことを思いながら自身に向かってくる足音に耳を澄ませていた。

テントの入り口が空くと、20代半ばくらいの男性が顔を覗かせてきた。
「あ、これ僕のテントなんですけど」
男性は飄々とそう浩司に声をかけた。浩司は申し訳ない、無人かと思ってと返答し、テントを出ようとしたが、男性が浩司を引き止めた。
「一応聞いてもいいですか?自殺志願者の方ですよね?僕もそうなんですけど、よかったら少し話しませんか?」
と。

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コメント(1)
  • 素敵なお話でした。

    2024/06/10/06:48

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