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不思議体験

とくのしんさんによる不思議体験にまつわる怖い話の投稿です

F県K町介護殺人事件
長編 2024/01/01 10:41 8,796view
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「被告人を懲役2年6か月、執行猶予3年の刑に処する」

重田(仮名)は、F県S市の鉄工所で働く会社員である。50代半ばに差し掛かったとき、甥から祖母の様子がおかしいことの連絡を受けた。聞けばどうも認知症ではないかと言う。自分の家がわからず甥の家にしばしばやってくるようになってしまったという話を聞いて、重田は会社に休みを貰い数年ぶりに帰郷することにした。

重田には2つ上の兄がいた。10年前にすい臓がんを患い亡くなっている。がんが見つかったときには既にステージⅣ。診断と同時に半年の余命宣告を受けた。

本人は一縷の望みをかけて抗がん剤治療を開始した。しかし闘病生活虚しく、余命宣告よりも早く僅か3か月で亡くなってしまった。48歳という若さであった。

重田兄は実家近くに家を建てていた。兄は長男という立場もあり母に同居を打診した。早くに父を亡くし、女手1人苦労して2人の息子を育て上げた母を1人放っておけないという思いがあったのだろう。その意に反して母は同居を拒否。1人気ままに暮らす方が性に合っているからと頑なに断ったそうだ。

兄が亡くなったとき重田は兄と同様一人残る母を想い生まれ故郷に戻ろうと思ったが、母からは同様に1人の方が気楽でいいと同居を断られていた。そのとき重田は親の犠牲になるなと、自分の人生を生きろと母から言われた。

それから10年の間、帰郷したのは数える程だが、その度に優しく迎えてくれる母に変わった様子は見受けられなかった。

久々に実家に戻るといつもと変わらぬ様子で出迎えてくれたが、“認知症ではないか”という話の通り、母は亡くなった兄と自分を混同していた。さらに、とっくの昔に亡くなった父が畑から戻ってこないと口にする。久々に会った母の現状に重田は愕然とすると同時に、腰が曲がり小さくなった母を見て思わず涙したと語っている。

病院での検査結果はやはり認知症。病状はかなり進んでいた。

重田は悩んだ。S市から地元のK町までは車で3時間はかかる。とても通勤できる距離ではなかった。兄嫁が世話を買って出てくれたが、所詮は他人。甘えるわけにはいかなかった。

重田は悩みに悩んだ末、退職を決意。地元に戻り母の面倒を見ることにした。

高校卒業後38年も勤めた会社からは散々引き止められたが、現状の給料では母を施設に入れるだけの余裕はない。また母を一人残してきたという負い目もあった。最後くらい自分が看取ってやりたいという気持ちから退職の意思は揺るぐことはなかった。そういった事情を受けて、会社は会社都合の退職として失業保険をすぐに受給できるよう配慮してくれた。また、当面の生活に困らないようにと、長年真面目に勤務したことに対する感謝の意味も込めて退職金を上乗せしてくれた。

そして母の介護生活が始まる。認知症が進んでいた母の介護は想像以上に大変だった。

まず、同じことを何度も聞いてくる。“あんたは誰だ?”に始まり、”ここはどこだ”とか”あれはどこにいった”とか。食事を与えて10分もしないうちに“飯はまだか”と聞いてくることもしばしば。だがこれくらいであれば、丁寧に事を説明すればまだ理解できていた。

同居から少し経つと次第に暴れることが多かった。自分の要求が通らないと暴れる。食事を取っていないからと冷蔵庫の中身を勝手に食べるようになり、目を離せば生肉や生魚を食してしまうため冷蔵庫に鍵を掛けた。

男一人でまともに家事などしていなかった重田には、そもそも慣れない炊事洗濯掃除といった日々の家事は重労働。ましては認知症の母を抱えてだ。片づけた傍から散らかす、畳んだ洗濯物をどこかへ片づけてしまうなど、やってもやっても追いつかなかった。

同居1ヵ月もするとついに母が重田を息子と認識しないことが増えた。

「あんた誰や!出ていけ!」

あたかも知らない人間が自宅に上がり込んだような扱いを受けることになった。このあたりから重田に対する暴力も増えた。老人とは思えない力で叩いてくる。時には物を投げつけられたり、箒で殴られることが増えていった。

青あざを増やしていく重田に兄嫁も手助けを買って出てくれた。仕事の合間を縫って家事の手伝いをしてくれた。なかでも兄嫁が作ってくれる食事が本当にありがたかった。しかし、

「私にこんなもの食わせる気か!」

と母は庭に皿ごと捨ててしまう。いくら言っても聞かない。これでは兄嫁に申し訳が立たないと、手伝いを極力断るようになっていった。

そして重田を特に悩ませたのが排泄と徘徊だ。汚物を壁に擦り付けるならまだ可愛いもので口に入れることもあった。この頃から重田も日に日に母に強くあたることが多くなり、怒られると母は汚物まみれの下着を箪笥に隠すようになった。またトイレに下着を流すようになり何度も詰まらせた。

徘徊に至っては就寝中に家を抜け出すようになった。夜中、トイレで目を覚ますと横で寝ているはずの母の姿が見当たらない。懐中電灯片手に何度も探した。見つけても自分の家はあそこではないと言い張る。諭しても諭しても母は聞き入れない。認知症だから仕方がないと自分を言い聞かせ続けてきたが、そんな母に重田は暴力を振るうようになっていった。

日に日にやつれる重田を心配し、兄嫁から母を施設に入れることの提案を受けた。自身が仕事をしていないこと、また生活費の足しに貯蓄を切り崩していること、母の年金では当然ながら施設に入れるなんてことはできないことを説明した。例え仕事を辞めていなくてもとてもじゃないが施設に入れることはできない。兄嫁は金銭的な支援を申し出てたが、甥の大学進学を控えている現状からその申し出を受け入れることは到底できなかった。

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コメント(6)
  • 親を介護しようなどとしてもやりきれなければ却って恨みを買うだけなので、いっそ見捨てたほうが良いというお話ですね。

    2024/01/07/07:02
  • 80-50問題も大変ですし、実際私の兄もワンオペでボケた母親の面倒見てます。仕事も辞めて親の面倒見ると、結局病んでしまいます。かと言って仕事しながら面倒を見ることは難しい。介護ヘルパーを利用すればもう少し負担は軽減ざれたのに

    2024/01/08/07:48
  • 他人事じゃないね

    2024/01/27/07:40
  • 本当に他人ごとではないと思いました。

    2024/02/02/10:34
  • こて冗談抜きで実話ですよ。

    2024/02/05/14:05
  • 凄まじき

    2024/03/26/12:08

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