会社のビルに古くからある井戸

今はもう取り壊されてありませんが、私が以前勤めていた会社には、古い井戸がありました。
飲食関係の事業を取り扱っている会社で、会社のビルは年季が入っているものの見た目はごく普通の4階建てのビルです。
そのビルの1階奥の部屋に井戸があり、普段は社長か副社長しか入れないのだとか。
代々家族経営の会社で、社長が父親、副社長がその息子で、どうやら血縁者しかその井戸に近寄れないようにしているのだそうです。
私も会社に入った当初は、まさか井戸があるなんて知りませんでした。
ネットでその会社の口コミを検索しても、そういった情報は全く出てきませんでしたし…。
井戸がある、けれど経営者の血族しか入れない部屋に井戸が。
一瞬、「何か恐ろしいものでも封印しているのかな？」とも思いましたが、どうせ私は井戸のある部屋に近づくことは出来ないし、と思って、考えないようにしました。

異変が起きたのは、その会社に入って1年程経った頃。
朝、いつも通りに出勤すると、1階にたくさんの社員が集まっているのです。

どうしたんだろうと思って近くにいた別部署の社員に話しかけると、「井戸のある部屋に新入社員が入った」のだとか。
どうやら井戸の噂を聞いた新入社員が好奇心を抑えられず、夜、他の社員が皆帰ってから、こっそり鍵を壊して井戸のある部屋に侵入してしまったのだそうです。
その部屋へ入ったのはいいものの、何故か外側から鍵がかかって扉が開かず、今朝、井戸の様子を見に来た副社長が新入社員を見つけたとか。
副社長や他の社員に付き添われた新入社員が、私達の前を通り過ぎていったのですが、何を体験したらそうなってしまうのか、まだ20代前半のその子は髪が全部真っ白になり、顔は痩せこけてやつれていました。
やっぱりあの井戸には何かあるのでは…と社員の間で噂になりましたが、社長から「井戸についての噂話しを禁ずること」「今朝のことは他言無用」とのお達しがあったので、社内で井戸の話しをする人はいなくなりました。

しかし、井戸のある部屋に新入社員が忍び込んでから1週間後、また、社員がその部屋に入るという事件が起こりました。
その社員は勤務10年になるそこそこ古株の人で、経営者の血縁者以外が井戸のある部屋に入ってはいけないことは良く知っているはずです。
でも、「井戸のある部屋から『ここから出して、助けて』という声が聞こえて、誰か閉じ込められているのかと思って入ってしまった」のだそうです。
普段は鍵がかかっているはずの扉はなぜか鍵が開いていて、部屋に入った瞬間、ガチャリと音がして扉が開かなくなったのだとか。

その後、何人も同じ体験をする社員が出たことから、ある時、井戸のある部屋をお祓いすることになりました。

お祓いに来たのはどこかの神社の神主さんで、社員は皆、「これで落ち着くだろう」と思っていたのですが…。

お祓いの後も変わらず、井戸のある部屋から声が聞こえたと言ってその部屋に入って閉じ込められてしまう社員がいなくなりませんでした。
それだけではなく、井戸のある部屋から髪の長い女の人の霊が出てくるのを見た人や残業中にラップ音が聞こえたり金縛りに遭う人まで現れたのです。
私も、残業中に髪の長い女の人の霊がうろうろとフロアを歩き回っているのを見たり、女子トイレの鏡に恐ろしい形相の女の人の霊が写り込むのを見ました。

何十人もの社員が心霊体験をしたことから、再び神主さんが呼ばれてお祓いをしてもらったのですが、それでも怪現象は収まりません。
そのうち、怖がった社員がどんどん辞めていき、社長は心を病んだらしく副社長に社長の座を譲って隠居してしまいました。
私も会社に行けば頻繁に霊を見てしまうのが怖くてすぐにでも辞めてしまいたかったのですが、上司に止められて辞めるに辞められなかったのです。
そしてとうとう、私も井戸のある部屋から助けを呼ぶ声を聞いてしまいました。

その日はなかなか仕事が終わらなくて、やっとキリの良いところまで片付いたのは夜23時頃でした。
私以外の社員は全員帰ってしまい、他には、社員が井戸のある部屋に閉じ込められてもすぐ助け出せるようにと雇われた、夜勤の警備員さんしかいません。
1階にいた警備員さんに挨拶をして、会社の玄関を出ようとした瞬間、どこからか「助けて、ここから出して…」というか細い女性の声が聞こえてきたのです。
バッと後ろを振り向くと、警備員さんもその声を聞いたらしく、青い顔をして「これって、噂のアレですよね」と呟きました。