奇々怪々 お知らせ

ヒトコワ

佐藤一朗さんによるヒトコワにまつわる怖い話の投稿です

帰ってきた祖父
長編 2023/08/14 16:51 2,372view
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気の乗らない祖母の家に一年ぶりに行く気になったのは、祖父が亡くなってからひとりで暮らしている祖母を気の毒に思う気持ちを、お盆という丁度良い時期が後押ししたからだ。仕事で忙しいという母の愛車を覚えたての運転で走らせていると、小一時間ほどで懐かしい古民家に着いた。「よく来たねぇたかひろさん、一年ぶりかしら」俺が押したピンポンに気づいた祖母は網戸の鍵を開けると、かっこいいねぇ服もお洒落だねぇと仕切りに褒めて再開を喜んだ。「お盆くらいはこっちに帰ってこようと思ってね。」俺は靴を脱ぎながら答えた。祖父の一回忌で顔をあわせて依頼、元々患っていた認知症を気にかけていたが、祖母変わりない様子だった。俺は靴を揃えて祖母の丸まった背中を追う。居間に入ると、まだ日も落ちきっていないというのに小さなちゃぶ台は所狭しと並んだ料理に彩られていた。「たかひろさんの好きなお料理ばかり作ったのよ」と祖母は自慢げに言った。ナスやトマトなど夏野菜たっぷりの和食は、即席ものばかりの一人暮らしの身体に沁みた。一品一品に、一年ぶりに会いに来てくれる大好きなたかひろに喜んで貰いたいという祖母の愛情が感じられ、苦手なゴーヤも美味い美味いと言って喉奥に押し込んだ。それでも麦酒を勧められた時は断った。お酒は20歳になってからと母からきつく言われている。全てのお皿を空にした俺は和室へ向かった。大切な事を思い出したからだ。ばあちゃんは満足そうに洗い物をしている。「俺もばあちゃんもどうにか元気に過ごせています。ありがとうございます」俺は仏壇に向かってチーンと高らかに鐘を鳴らし、パチンと手を叩いた。作法はよく分からないが俺なりの祖父への挨拶だ 。壁に掛けられた祖父の写真も心做しか俺とそっくりの顔で笑っている様に見える。悪人面と言われることもあるが、俺は祖父譲りの切れ長の目を気に入っている。祖母曰く、そんなちょっと厳つい見た目と、優しい中身とのギャップも祖父の魅力だったらしい。そんな祖父と住んでいた家でひとりで暮らしている祖母を思うと、少し哀しくなった。それでも「たかちゃん、もう風呂湧いてるからねぇ、一緒に入るかい?」との祖母からのお誘いはお断りした。相変わらず愛が重い。その日の夜、冷房の無い祖父の部屋で寝付けないでいた俺は、扇風機の前に居座り涼を取っていた。違和感に気がついたのはその時だ。外から運ばれてくる生ぬるい風に乗って、誰かの声のようなものが聞こえてきた。「お………た……………い」俺は、網戸1枚隔てた向こうにいる何かの存在を確信した。夏の暑さとは違う汗が吹き出し、扇風機の風にさらわれ、畳を濡らした。振り返ることは、できない。その時の俺は祖父の葬式での祖母の言葉を思い出していた。「今は寂しくてもねぇ、お盆になるとおじいちゃんは帰ってきてくれるのよ。だからまた会える」
もしかして帰ってきたのだろうか、じいちゃん。「お………た……ろ……い」その声は懐かしい祖父のようにもそうでないようにも聞こえたが、俺に何かを訴えかけているかのように感じた。俺の中にある小さな罪悪感がそう感じさせるのだろうか。俺はそれを確かめたいという耐え難い欲求に襲われたが、祖父以外の何かに呼ばれているのではないかと思うと、振り返る所か指1本さえ動かす事が出来なかった。それからどれくらい時間が経ったか検討もつかない。そのまま何も出来ず硬直していると背後の気配は消えていた。緊張の糸が切れた俺は扇風機の電源を入れ、汗で濡れたTシャツに涼しい風を送った。月明かりに照らされた壁に目をやると、時計の短い針は2と3の間を指していた。「今夜はもう眠れそうにないな」俺は手探りで見つけたスマートフォンに電源を入れ、眩い光に顔をしかめた。
気がつけば眠っていたようで一階から聞こえてきた「たかひろちゃん起きてーご飯できてるよー」という祖母の声に目が覚めた。網戸からは何事も無かったかのように朝日が差している。外から漏れる蝉の声を聞いていると、なんだか昨夜の出来事は俺が見た夢か幻聴であったかのように思えてきた。「俺は今日でもうあっちに帰るよ」俺は目玉焼きの乗ったパンを齧りながら祖母に切り出した。「たかひろさんどうして。まだお盆はあるし、もう1日だけでもこっちで過ごしていってもいいのよ、遠慮しないで」矢継ぎ早に俺を引き留めようとする祖母には申し訳ないが、あの声のことを思うとこの家に長居する気にはなれなかった。しかし、「夕飯はすき焼きの予定だったのに、お肉余っちゃう」という一言に後ろ髪を引かれ、帰宅は夕方まで引き伸ばす事になった。それから俺は何となく家の中にいることが嫌で、庭に出て祖母の家庭菜園の手伝いをして過ごし、少し早めの夕食を頂くことにした。昼食のおむすびも塩気が効いていて美味かったが、すき焼きの魅力には敵わない。祖母の作る砂糖多めの甘くて辛いすき焼きは、牛肉と卵との相性抜群で絶品だった。祖母は俺の表情を見ては終始嬉しそうにしていた。心置き無く肉を堪能した俺は、窓に目をやって日が落ち始めていることを知った。食べることに夢中になりすぎて時間が経つのを忘れていたようだ。俺は日が落ちるとまたあの声が聞こえてくる様な気がして、急いで身支度をした。「たかひろが居なくなるとまた寂しくなるねぇ」と言う祖母は玄関まで見送りに来てくれた。「来年のお盆にでもまた来るよ。ご飯美味しかった。ありがとう」「うん。待ってるからねぇ」靴を履こうと屈んだ俺に「お………たか……じゃ…い」という昨日同じ声がした。その声の主は間違いなく目の前のドアの向こう側にいる。俺はなるべく自然に、ゆっくりと頭を上げた。茜に照らされたドアの曇り硝子に人影が映っていた。そいつは外から俺の事を見ていた。俺は平然を装って祖母の方を振り返った。祖母は、時折浮かべていた艶っぽい表情で俺の頬に皺まみれの手を伸ばし、顔を近ずけてきた。生暖かい祖母の息が俺の顔にかかる。もう騙すのは限界だった。祖母は、すき焼きのせいで少し油っぽい俺の唇に温い唇を押し付けてきた。数秒後、固く結んだの唇の中に祖母のねっとりとした舌が侵入してくる。その時、背後からはっきりと声が聞こえた。
「お前は…たかひろ …じゃない…」
「たかひろは…俺だ!」
ドアの向こうの人影は、祖父は、俺と祖母に訴えた。
ー年前のお盆のことだった。祖父が他界して酷く弱っていた祖母に会いに行ったのは。「たかひろさん…三途を渡って私に会いに来てくれたのね…」俺の顔を見るなり抱きついてきた祖母の背中は折れそうなほど細くて、とても悲しく、少し気持ち悪かった。初めは間違いを正そうとした。祖父はもう死んでいるんだと、俺は祖父ではないと訴えた。だが祖母は俺の事を見ようとはしなかった。その時、人は正しいことよりも、自分に都合のいいことを信じるんだと知った。それから俺は祖母の嘘に付き合うことにした。今、俺の背後、ドア一枚隔てた向こうにいるのは祖父なのだろうか。それとも俺の罪悪感が生み出した幻なのか。あの悲鳴にも似た声が聞こえたのは俺だけだろうか、それとも祖母の中で孫に対する罪の意識がその存在を否定したのだろうか。祖母は、本当に俺が祖父ではない事に気がついていないのか。俺は、ドアの向こうの存在に気が付かないふりをした。その方が都合がいい。祖母はゆっくりと名残惜しそうに俺から唇を離すとまた来てねと言った。袖で唇を拭った俺はガラリとドアを開け、外に出た。俺は来年のお盆もこの家を訪れるのだろうか。祖母に本当のことを隠しながら。どうしようもなく美しい茜色の空の向こうで、祖父が笑っているような気がした。

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コメント(2)
  • なんという背徳感

    2023/08/20/08:08
  • 違う意味でゾゾゾ…

    2023/08/24/01:11

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