みんなの中に生き続けるケンちゃんの話
投稿者:心結 (5)
私たちも同じくらいの子供がいるし、かわいそうでかわいそうで見ていられなかった。
おじいちゃんはね、もう少し早くに見つけてあげたら助かったかもしれないって、自分のことを責めてね。
毎日お線香を上げに海まで行ってね。
毎年、夏休みの時期になると、この家に姿を見せるんだよ。
おじいちゃんもきっと気づいているんだけどね、心の中で早く天国にいきなさいってつぶやいて、わざと気づかないふりをしているんだよ。
必死に助けようとしたお礼を言いにきてるのか、なんでもっと早く見つけてくれなかったんだ!って怒りに来てるのか、どっちなんだろうかね。
同い年くらいのお前が来たから一緒に遊びたいのかね。
ここらのおうちの人はみんな、毎年同じような体験をしているんだよ。
そうか、今年はみんなで花火をしに来ていたんだね。」
と懐かしそうに話しました。
次の日、その男の子のお母さん(祖母と同い年くらい)がお茶のみにやってきました。
「昨日、うちのケンちゃんお邪魔したかしら?」
「うーん、ケンちゃんね花火にきたみたいよ。うちの2Fにもいたみたいだわ。どうして?」
「夢でね、お宅の玄関から楽しそうに飛び出してくる姿をみたからね、子供たちがたくさん帰ってきてるから、お邪魔したのかしらと思ってね。」
私たちが毎年楽しみにしている夏休み。そのケンちゃんと呼ばれる男の子は、その夏休みをきっと数回しか経験できなくこの世を去ったんだ。
私たちみたいに楽しく遊んでいた夏休み、急に亡くなってきっと寂しかったんだろうなと思い、次の日私も海岸へお線香を上げにいきました。
その年から、毎年夏休みにはケンちゃんを思い出し、風もない穏やかな夜に2Fの窓のがたがたとい音が聞こえると、「今年もきたな」と思うようになりました。
ある日はうちの2F。またある日はお隣のお庭。きっとこの町やこの町の人が大好きで、今でも夏休みを楽しみにしているケンちゃん。
最初に感じた恐怖心はなくなり、ケンちゃんが一緒に遊びたいと思うほど私たちが思いっきり楽しむことにしました。
ちなみに、ほかのいとこたちは一度もこのような体験をしたことはなく、ケンちゃんの話もあまりよく知らないのです。
大人になった今でも、夏に祖母の家に行くときには、小さな子供が喜びそうなお菓子を買い、2Fの窓辺に置いています。
しばらくして2Fに行ってみると、きれいに並んでいたはずのお菓子の一つが落ちていたり、場所が変わっていたり。
前みたいに一緒に遊ぶことはなくなったけど、今も変わらずケンちゃんはこの町で遊んでいるんだなと思います。
近所では変わらず、まだケンちゃんがこの世にいるかのように、未だにケンちゃんの話をする人が多く、みんなの中に生きているのを感じます。
また次の夏も、お菓子を買って祖母の家に帰ろうと思っています。
小さな町で起きた幼子の海難事故。町の人々の心に深い傷を負わせた出来事なのは間違いないのに、どこか不思議で温かい気持ちになる、そんなお話でした。
生きていれば、ケンちゃんは50代。
ずっと6歳のまま、あの町で楽しく遊んで、みんなから可愛がられる存在であり続けてほしいと願っています。
お盆に帰って来るんだろね。
いい話ですね。
座敷童子のような、神格化された存在になっているのでしょうね。
その街の子ども達を守ってくれる存在でいて欲しいです。もう悲しむ人がいませんように。