奇々怪々 お知らせ

Wikipedia Yotsuya Kaidan

日本では番町皿屋敷と並んで有名な四谷怪談。
顔が半分爛れたお岩さんはグロテスクなイメージが先行しますが、その哀しい生い立ちや悲劇の詳細を知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。
実はこのお岩さん、創作ではなく江戸時代に実在した人物でした。

 

今回は鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語でも語り継がれる、四谷怪談のあらすじや魅力を紹介します。
映画や漫画から入った方もぜひ最後までご覧ください。

 

 

四谷怪談(よつやかいだん)とは

四谷怪談の前身は享保12年(1727年)に書かれた作者不明の「四谷雑談集」です。
こちらは小説というより庶民の噂話を集めた風聞集に近く、お岩さんの話は元禄の実話だと前置きされていました。
この話をもとに戯作者の鶴屋南北が「東海道四谷怪談」を書き、歌舞伎で人気を博します。

 

ちなみに東海道四谷怪談自体が歌舞伎・忠臣蔵のスピンオフです。
その後文政10年(1827年)に町年寄の孫右衛門が「於岩稲荷由来書上」を執筆、お岩さんの祟りを巷間に広めました。

 

 

お岩さんとは

お岩さんは田宮伊右衛門と並ぶ四谷怪談の中心人物。
御手洗鉄砲同心の田宮又左衛門の娘として生まれたものの、醜い上に性悪で、婿養子の浪人・田宮伊右衛門の心は、上司である与力・伊東喜兵衛の妾に移っていきます。

喜兵衛は孕んだ妾を伊右衛門に厄介払いしたいと申し出、二人で組んでお岩さんを田宮家から追放。
夫の裏切りにお岩さんは発狂して蒸発、以降伊右衛門とその一族は次々と悲劇に見舞われて家は取り潰されました。

 

「四谷雑談集」「於岩稲荷由来書上」で若干流れは異なりますが、お岩さんの祟りが伊右衛門を破滅に導く結末は同じです。

ここでは最も有名な歌舞伎、「東海道四谷怪談」のあらすじを紹介します。

 

 

Kuniyoshi The Ghost in the Lantern

東海道四谷怪談 『神谷伊右エ門 於岩のばうこん』(歌川国芳)

四谷怪談のあらすじ「起」

鉄砲同心・四谷左門の娘・お岩は美人と評判をとっていました。
しかし父が仕えていた塩谷家が断絶に追い込まれ、父の又左衛門は乞食に、妹のお袖は売春婦に落とされます。
夜鷹となったお岩のもとに横領犯の元夫・民谷伊右衛門が現れ、よりを戻したいと交渉しますが、舅の左門は跳ね付けました。
一方、売春宿のお袖は元奉公人の直助に言い寄られて困っている所を夫・与茂七に助けられます。

 

与茂七は塩谷家主君の復讐を計画し、敵の目を欺く為同志と服を替えて夜の街に消えていきました。
しかし与茂七を逆恨みした直助が同志を闇討ち。殺害後に別人と気付き、死体の顔の皮を剥ぐ暴挙にでます。
その一部始終を左門を待ち伏せして斬殺した伊右衛門が見ており、二人は互いに手を組んで、お岩とお袖を物にしようとするのでした。

 

 

 

四谷怪談のあらすじ「承」

お岩と伊右衛門は復縁し息子をもうけますが、お岩は産後に肥立ちが悪く寝込みがちになり、伊右衛門はそんな妻を疎んじます。
さらには下男の小仏小平が盗みを働いた事で逆上し、小部屋に監禁していました。

 

民谷家の隣人・伊藤喜兵衛の孫娘・お梅は伊右衛門に横恋慕しており、お梅を溺愛する喜兵衛は、お岩と伊右衛門の離縁を計画。
見舞いの薬を届けさせるものの、それは毒薬でお岩の顔は爛れてしまいます。
醜く変わり果てたお岩に伊右衛門は幻滅、財産を持ち逃げして伊藤家に身を寄せました。

 

通いの按摩から真実を知らされたお岩は嫉妬と怒りに狂い、伊右衛門とお梅の祝言に乗り込む決意をします。
ところが身支度を整える間にも梳いた髪は抜けていき、吐血が止まらなくなったお岩は絶命。
伊右衛門は小平とお岩の遺体を戸板の裏表に括り付けて川に流しました。
これが有名な戸板返しで、戸板が回転するごとに二人の死体が交互に現れる最大の見せ場です。

 

 

 

四谷怪談のあらすじ「転」

祝言の夜、伊右衛門はお梅と喜兵衛を斬り殺します。彼にはお梅がお岩に、喜兵衛が小平に見えたのです。
この事態に伊右衛門は錯乱して逃亡、以降お梅の母・お弓に命を付け狙われる羽目に。
伊右衛門は実母・お熊に助けを求め、お熊は息子の卒塔婆をたて、彼は死んだと偽ります。
お弓はお熊の芝居を鵜呑みにしたものの、背後に迫った伊右衛門によって堀に突き落とされ死亡。
しかし既に幽霊となったお岩と小平からは逃げきれず、戸板返しの悪夢に苛まれ続けます。

 

しぶしぶ直助と所帯を持ったお袖は姉の死を知り、伊右衛門への復讐を決意。
直助の協力を得る為に抱かれるものの、直後に与茂七が現れ、恋敵同士で討ち合いを始めました。

 

行灯が消えた暗闇の中、互いを仕留めたと勘違いして喜ぶ与茂七と直助。
しかし実際に刀が貫いていたのは、二人の間にいたお袖に他なりません。
その後お袖の形見をあらためた直助は、自分たちが血の繋がった兄妹だと知って自害します。

 

 

 

四谷怪談のあらすじ「結」

共犯者を失い追い込まれた伊右衛門は、お熊の口利きで蛇山の庵室にひきこもります。
しかし毎晩のようにお岩と小平の亡霊に纏わり付かれ、次第に精神を病んでいきました。
お岩の祟りはとどまるところを知らずお熊まで呪い殺され、伊右衛門は逃亡を企てます。

 

庵室を出る伊右衛門の前に、与茂七が小平の妻・お花と役人を連れて立ち塞がりました。
既に正気を失っていた伊右衛門はお岩の霊に責められながら殺陣を繰り広げるも、最後にはお花と与茂七の二人に成敗されます。
伊右衛門が非業の最期を遂げた事で漸くお岩は成仏し、物語は幕を閉じました。

 

 

 

現代に残る四谷怪談〜於岩稲荷田宮神社〜

四谷怪談の舞台となった場所は四谷左門町と言われており、田宮家の跡地には於岩稲荷田宮神社が建てられています。
向かいには於岩稲荷陽運寺がある他、中央区新川にも於岩稲荷田宮神社が存在します。
これは明治12年(1879年)の火災で四谷の神社が燃え落ち、新川に再興されたためです。
今でも映像化や歌舞伎で上演される際は、関係者がお参りにくる事で知られています。

於岩稲荷田宮神社2

 

お岩さんのお墓(妙行寺)

お岩さんのお墓は東京都豊島区巣鴨の妙行寺に存在します。こちらは二代目田宮伊右衛門の妻の墓とする説が有力です。
境内には東海道四谷怪談の作者・鶴屋南北の墓も存在しており、運命を感じずにはいられません。
また赤穂藩初代藩主、浅野長直の妻・高光院の墓もあり、忠臣蔵ゆかりの人物が多く眠っています。

 

 

 

エンターテインメントでの四谷怪談

「四谷怪談」は明治の落語家・三遊亭圓朝の創作落語でも取り上げられました。
この話ではお岩さんの幽霊はアルコール依存症の伊右衛門が見た幻、と現代的なオチが付けられています。

 

また1950年の映画「四谷怪談」(中川信夫監督)は日本の怪談映画の最高傑作に位置付けられており、おどろおどろしい演出に戦慄を禁じ得ません。

 

意外な所では「沈黙の艦隊」「ジパング」など、男くさい軍隊もの漫画のイメージが強いかわぐちかいじが四谷怪談を扱っています。
それが1984年から連載されたアクター (モーニングコミックス)
大衆演劇の女形・雲母が主人公の本作では、お岩さんの恋敵・お梅の乙女心がフォーカスされ、X指定の映画が仕上がりました。
しかし伊右衛門を演じた雲母は心を病んでしまい、作中人物もお岩さんの祟りとは無縁でいられないと証明します。

 

 

 

おわりに

以上、四谷怪談を解説しました。
大元は元禄時代の武家の実話ですが、時代が下るのに比例し様々なアレンジが加えられており、人々の心を離さない四谷怪談。

 

実際のお岩さんと伊右衛門は夫婦円満だったとする説もあり、真相が気になりますね。
興味がでた人はぜひ調べてみてください。

 


 

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