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心霊

のあさんによる心霊にまつわる怖い話の投稿です

とある集落で。忘れないよ、貴方のこと。
長編 2020/11/23 07:07 4,376view
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怖い話とも違うですが、もう時効かと思うので記録という意味でも、私が体験したことを書いておきたいと思います。私は約20年前に夫と結婚しました。義理の両親はただ単に地方とは言えないような集落の出身者です。ただ、義父の仕事の関係で、長年、集落から離れて生活をしており、夫も首都圏で生まれ育ちました。だから、結婚に当たり、お互いの家族の紹介の時にお互いの両親の出身地などを話すかと思うのですが、かなりの田舎出身なんですくらいのことで大して気にせずにいました。

その後、結婚式をしめでたく夫と夫婦になりました。結婚した年の夏のことです。夫が義理の両親の生まれ故郷である集落にちょっと行くことになったからと言いました。私も?と聞くとそうだよとのことでした。私自身は祖父ども首都圏出身者なので田舎とは無縁な育ちをしてきたので、楽しみ半分、なんで今更集落に行くんだろうと思いました。というのも、結婚式の時、夫方の親戚の方も参列してくれましたが、皆さん、もうそこにはお住まいではなかったと記憶していたからです。何はともあれ、行くからには楽しんで来ようという気楽な気持ちでした。

出発当日は、朝、まずは義理の両親の家に行きました。ボックスカーなのでそれに義理の両親が乗るのだろうと思ったら、義理の両親の家には結婚式であった親戚の方も2人ほど来ていて、義父と夫2台の車に連ねるような感じでの出発となりました。夫はいつもきちんと話さない人なので、なんか聞いていた話と違うかもしれないと思いつつも、こういうこともあるんだくらいの気持ちでいました。車は普通の道路から高速にのりました。私はというといつものように寝てしまい、気づいた時には山の中を走行していました。すごいところに来たなと正直思いました。

それからしばらくすると、それこそ昔話のように遠くに開けたところがあって、田んぼや畑の間にそれなりの大きさの家が点在している集落がありました。一つの家に着くと義母がうちよと言いました。かやぶき屋根の立派な家でした。手入れもされているのが分かったので、よく来られているのですかと聞くと、夫が育った首都圏の家での生活がメインだけれどたまに来ているとのことでした。そうですかと答えながら、結婚するとは本当に違う家族の中に入るってことなんだなと思いました。

しばらくすると、いつどのように連絡が行っていたのか、人が集まってきました。ほとんどが中年からご年配という感じの方で、大皿のお料理をもって集まってきて、夫と私のお披露目が行われました。お祝いなどもいただいて、こういうことならちゃんと言ってよ、何も持って来てない!と思いながら、お皿を出したり、お酒をついだり、ほぼ初といって良い嫁としての仕事をしました。後で気が付いたのですが、おそらく家の鍵はその集落のどなたかは持っているようでした。そうでなければ、普段はおそらく襖で仕切られている部屋が大広間になっていて机が並べてあるはずがないからです。何はともあれ、あんなに座ったり立ったりしながらお給仕をしたのは初めてのことでした。

あの集落のどこにそれだけの人がいるのか分かりませんが、30人はいたと思います。その中に1人とても控えめに座っている方が女性の方がいました。うまく言えないのですが、大きな机に男性も女性も一緒にいるのですが、集落独特なものなのか男性は男性、女性は女性で固まっていました。女性のグループの中でもその人は控えめな感じで、しかも無表情でした。取り皿さえ持たずに座っている彼女をみて、私は嫁の直感で、この人も嫁だと思いました。誰だよ姑はと思いながら、私は彼女にお食事とお飲み物を渡ししました。そうこうするうちに夜もかなり遅くなり、最後の一人の方もお帰りになられました。

その後、義母は大変だったわね、驚いた?と聞かれました。いいえと答え、楽しかったです、でもきちんとできた自信がありませんと言うと、義母は皆、親戚みたいなもんだから大丈夫よと言いました。片付けはある程度は集落の女性陣の若い方の人たちが一緒にしてくれたので、ほとんど終わっていたので、残りは明日にしましょうと義母が言うので、この日はこれで休みました。

翌朝、私が起きた時にはもう義母が起きていて、残りのお片付けは済んでいました。すみませんと言うと、いいの、いいのと言ってくれました。義母がいつもこういう感じです。それから朝ごはんを済ませ、夫と近くを散歩しました。夫も学生時代に一度来て以来と言っていました。まあ、良いところだけど、生活は厳しいよねというのが私達二人の一致した意見でした。

家に帰ると、義母が昔の写真を出してきてくれました。義母はこの集落ではないけれど、近くの集落出身でした。しかし、その集落はもうなくなってしまったそうです。ここの人たちは頑張っていると言っていました。そんな話をしながら、写真を見ていると、前日の会の時、ひっそりと座っていた人が写真に写っていました。私は、この方、昨日、いらしていましたねと義母に言いました。義母はえっ?という顔をしました。そして、知らない人だわ、お父さん知っていると言って義父に見せると、じっと見た後、知らないと言いました。それではどなたかのご親戚の方かもしれませんねと言って私が流そうとすると、義父がかなりはっきりとあり得ないと言いました。そういう言い方をする人ではないので、驚きましたが、この話はここで終わりました。

それからしばらく過ごしてから、私たちはもう少しいると言う義理の両親を残し、帰ることにしました。帰る途中で、夫に私はあの人を絶対に見たんだけどなと言うと、自分も聞いた話で本当のことかは分からないと前置きした上で、夫がこんなことを言いました。

そう古くないその昔、何が原因でそう言うことになったかは知らないけれど、あの集落で村八分があったらしい。今の感覚なら村八分をするような集落、捨てて出ていけばいいだけの話だけど、その家族の抱える事情もあったろうし、先祖が開いた土地は捨てられなかったのかもしれないし、いわゆる鬱の状態で考えることができない状態になっていたのかもしれない。とにかく、詳細は分からないけれど、一家心中的なことが起きたらしい。自分もその人たちに会ったことはないから確かなことは言えないけれど、君が指さした人は一家心中した人の中の一人だったんじゃないかな。

ひぇぇぇ。夫は彼女を見ていないから、さらりと言ってのけましたが、私は確かに彼女を見て、お皿にお料理をとりこれでいいですかみたいな感じで飲み物を渡しました。でも、そう言われてみれば、彼女は一度も声を発しておらず、ごちそうさまでしたみたいな別れの挨拶も交わさず、気づいたらいなくなっていました。単純に帰ったのだろうと思っていたのですが、おかしなことばかりです。

私は霊感が強い人ではありませんし、心霊現象を信じるタイプではありませんが、私は確かにあの写真の人が、あの写真の人にそっくりな女性と会いました。幽霊だったのかもしれないですが、嫌な気持ちはしませんでした。教科書の知識ではありますが、村八分にされていたのなら、ああいう席には参加できなかったはずです。どういう気持ちで参加していたのかなと思います。あの日、私が彼女に皆さんと同じお食事とお飲み物を渡したことで、村八分はもう終わったんだと救われた気持ちになっていたら嬉しいです。ちなみに、その後、しばらくして義父が闘病生活に入ったこともあり、私はあの時以来、一度もその集落には行っていません。一家心中をされたご家族の御心が今は安らかであることを願ってやみません。

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コメント(1)
  • 村八分にされていたから自分もその中に入りたかったのじゃないかしら?
    でも義父も義母も写真の女性が見えていたのね。

    2021/01/16/22:22

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