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心霊

ぽっぺんぱらりのさんによる心霊にまつわる怖い話の投稿です

病院の夜間当直にて
長編 2023/03/23 21:57 1,298view

大学を卒業して、私はとある公立病院に事務方として就職することになりました。普段は病院の経営に関わることをしているのですが、そこは救急病院でしたので、事務職が救急搬送の受け入れなどのために当直に入っていました。最初は慣れるまで免除されていましたが入職してから1ヶ月程度で夜間当直をすることになります。

夜間当直というのは救急搬送の受付がメインでした。ただそれだけでなくクレーム対応であったり、夜間に工事があれば立ち会い、トラブルがあればその対応もありました。

中には霊安室にご遺体を運ぶ仕事もありました。
病院に馴染みが少ない人たちには夜の病院はホラーの要素があるようです。その病院の隣には大きなお城があり、夜間当直の話をすると友人たちは病院で落武者の幽霊が出るんじゃないかと笑っていました。

病院でしばらく働くと人の生死というものに多少は慣れますし、あまり見たくない人の怪我も仕事ですから事務職であれ多少は見慣れることになります。ですので亡霊やオカルトの類についても関心はなくなりますし病院の見回りに恐怖を感じることもなく淡々とするようになります。

入職から2ヶ月、当直を3回目くらいに入った頃でした。その晩は患者様がお亡くなりになったので霊安室への移動を手伝い、その後施錠した後の話です。大きな病院でしたので人が亡くなることも別段珍しいことではありません、

夜間受付の部屋に戻ろうとしたところ地下の廊下に男性の人影が見えました。病院の構造として、病院の中央にロの字のようにガラス張りの中庭がありました。

夜間受付は病院の中央近くの1階にあり、部屋の前の通路から窓越しに外来の待合や検査室、地下にある売店や2、3階の通路、エレベーターホールなどが見える状態でした。

夜の8時くらいだったと記憶していますが、地下には売店や自販機などもあったので、人がいても不思議ではないのですが、歩いている方向が自販機から離れて検査科という部署の方に多くの荷物を抱えながら足を引きずりながら歩いていたので少しだけ気にはなりました。

まだ病院の職員の顔も全て覚えていませんでしたし検査科にも当直がいましたので検査の当直の方かなと思っていました。

その直後、救急搬送の連絡がありました。その病院では救急の受け入れが決まれば各部署に事務当直から電話をすることになっていました。検査当直にも電話をするのですが電話をすると女性の声で応答がありました。

先ほどの人影が少し気になっていたのでその日の当直一覧表を確認したところ、たまたまでしたが女性スタッフが多く、また数人いた男性スタッフも顔を覚えている人だったので、人影に思いあたるスタッフはいませんでした。

救急搬送患者は緊急入院となりひと段落した後、もう一度同じ人影を見ました。今度は逆方向に歩いて行きます。

売店や自販機に行っただけかもしれないし、電話をしていただけかもしれないとは思ったのですが、患者様であれば病室に戻れず迷ったのかもしれないし、あるいは窃盗の可能性もありそうなので念の為見回りに行くことにしました。またその時には夜の10時を過ぎており各病棟の消灯時間に近づいていましたので患者様であれば病棟も探しているはずです。

少し急いで見に行ったのですが既にそこに人影はいませんでした。地下に出入り口は搬入口などもあったのですが全て施錠されていました。夜間受付は出入が記録されているのですが職員以外の出入の記録はなく腑に落ちない感覚はありましたが特に何事もありませんでした。

翌朝、窃盗がないか気になったので検査科の当直の方にその話をしました。すると私がその人影を見た時間から杖で歩くような物音がずっと聞こえていたそうです。二度ほどは見に行ったそうですが一瞬私と同じように人影が見えたもののすぐに見失い、杖で歩く音も何かの機械か外から聞こえる音だろうと思っていたそうです。

数日後、別部署の古参の職員に人影の話をしました。そうするとその職員はさも見たことがあるように「片足がなかっただろう」と言ったのです。「そこまではわからなかったですが」と応えました。

その方によるとそれはおそらく大戦中の日本兵だということ。時間や季節によって別の日本兵や看護師さんの目撃情報もあるそうです。その病院はもともと陸軍病院だったのです。戦前、全国の国有地には多くの陸軍や海軍が施設を設置しました。

その病院もお城の周辺地域が国有地だったので陸軍病院があり戦時中は他に陸軍の弾薬庫があったり兵舎があったそうです。戦後になってそういった各地の陸軍病院や海軍病院が国立の病院になったり、県立や民間病院に運営を移譲されました。その流れを組んで私がいた病院ができたそうです。

そして私が当直に入った日は街に空襲があった日、軍の施設は終戦が近づくと何度も空襲があったそうです。お城だけは奇跡的に残ったそうですがその周辺は壊滅状態になったそうです。

そして今の立地を当時の資料と照らし合わせると検査科の少し先に防空壕がありました。防空壕の跡はお城の内堀を利用して作られており今でも残っています。私が目撃した経路は防空壕への避難経路になっていました。

私が聞いた古参の職員によると何人か怪我を負った日本兵の亡霊がいるそうです。おそらく空襲があった時、防空壕に行く途中が出たところで何かしらあったのだろうと。出る時期がある程度決まっているそうなんですが中には少年兵や若い看護師さんもいるそうです。

特に悪さはしないということなんですが古参職員ら有志は防空壕の前にお花を供えていました。有志でやっているとのことで私も今は参加しています。

またその病院には落武者のような亡霊もいるそうです。その亡霊は病院の端の方を掠めて通るだけ見たいで、一部の部署の人間しか見ないそうです。ただその方の身分や、いつどのような経緯で動いているかは分かりません。

また病院の建て替えをしようとした時、地下から多くのものが見つかりました。古来からの食器や戦時中に使われたと思われる水筒や医療器具など。歴史が重なった土地というのは物もそうですがたくさんの想いや人の歴史が生きているもののようです。

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