奇々怪々 お知らせ

妖怪・風習・伝奇

サカナセブンさんによる妖怪・風習・伝奇にまつわる怖い話の投稿です

河童のつまみぐい
長編 2022/10/27 20:30 1,543view
1

 これは私の地元に伝わる、河童の伝説にまつわるお話です。
 私の地元はあの有名な妖怪漫画家さんが育った地域のすぐそばにあります。その漫画家先生が河童のお話を描かれたように、近辺一帯の地域には数々の河童の伝説が残っています。お盆に川で遊んでいた子供が河童に足を掴まれた話は本当によく聞きます。さらに、夜中に河童らしき得体の知れないものが川のほとりを歩いていたという話も、私の地元ではありふれたものです。自然豊かな山があり、そこから流れ出る大きな川が人々の生活に必須の水源となっているからかも知れません。

 さて、私の生まれた村の河童にまつわるお話をさせていただきます。これは私の父が実際に経験した話です。

 まず、みなさんは河童と聞くと、どんなイメージを持ちますか?「足を引っ張って溺れさせて尻子玉というものを抜く」というものかもしれませんね。また、漫画の影響で「時には人と友達になる」という可愛らしいイメージをお持ちの方もいるかもしれません。これからお話しする河童は、そんなイメージからかけ離れた恐ろしいものです。

 詳しい場所は伏せますが、私の生まれた村は古い漁村です。どの家からも海が見え、歩いて数分で漁港という場所です。船の汽笛と、漁港の独特の匂いの中で生活しています。今は都市部に働きに行く人が多いですが、昔は村のほとんどの人が漁業に従事していました。こう聞くと、多くの人は河童が暮らしているのは山や森の中なのではないかと考えるでしょう。しかし、私たちの村の河童というのは漁村の中を流れる川に出没するのです。

 その川は河童以外の謂れもある川です。今は舗装されてコンクリートの下を流れる水の音しか確認できません。しかし、今から三十年以上前、私の父がまだ子供の頃は大きな川が剥き出しだったそうです。村を囲むように曲がりくねった形で川は流れています。昔ですから、コンクリートで舗装などされてなどいません。生い茂った草で川と道の境目がわからない部分も多かったと聞きます。

 この川は父も含め、当時の子供たちにとっては大切な遊び場でした。当時は深い川だったようで、泳ぐことはもちろん、川辺に座って夜に蛍を見たりしていたそうです。子供たちは年中川で遊んでいました。親たち村の大人もそうして育ってきたので、気をつけるようにと言いながら見守って過ごしていました。
 そんな川にも、入ってはいけないと言われる時期があります。お盆です。
 入ってはいけないとされる理由は、河童に命を奪われるからです。川に引き摺り込んで尻子玉を抜くから魂が無くなって、という話ではありません。

 このような伝説が村に残っています。村に流れる川に住む河童は、お盆の時期に人が川に近づくと引き摺り込みます。その人は河童によって川の中に沈められるので、溺死してしまいます。死んだところで河童は一度、死体から手を引いて、一晩待つのだそうです。一晩経って次の夜に、河童はその死体を貪り食べてしまうというのです。

 このような恐ろしい伝説が村には伝わっていました。お盆は親戚の集まりがあり、人手が足りず忙しいので、子供を遊ばせないようにして手伝わせるためだという説もあります。しかし、誰も気味悪がってお盆には川に近づこうとしません。この世とあの世が近づき、境界線が不明瞭になるお盆。どこからか聞こえる誰かの読経、ひぐらしの声。そんな時期の鬱蒼と背の高い草が伸びる川のことですから、誰しもが気味悪がります。

 さて、そんな伝説が語り継がれる中、私の父は小学校二年生になりました。小学校に上がり、川で遊ぶことが許され一年が経った頃です。川のどこは危険で、どこが年上の先輩達の領地で、と川のことを少しずつ理解し始めた時期となります。近所の先輩たちについて毎日毎日、日が暮れるまで川で遊んでいてそうです。今でもそうですが、父は幼少期は特に誰とでもすぐに仲良くなるおしゃべりな子供だったと聞きます。なので、村の子供達全員と仲良くしていましたが、一人だけあまり遊ばない子がいたというのです。隣の大きな町から引っ越してきた男の子で、あだ名は「とんやん」と言われていました。とんやんは人見知りだったのか、父が誘っても恥ずかしそうに顔を伏せて黙るのが日常だったそうです。父は毎日とんやんを誘いますが、次第に他の子は「誘ってもこないのだから放っておこう。」となったそうです。とんやんは、寂しそうに遠くから川と、川で遊ぶ父達を眺めていました。

 そのまま、とんやんは「お盆に川に入ってはいけない」しきたりを伝えられないまま夏休みを迎えました。その日、とんやんが村の夏祭りに一人できていた姿を父は見かけています。友達もおらず、なんとなく誰も誘わないし、とんやんからも誘わない。彼は寂しそうに夏祭りの会場を後にしました。その後のことは父の推測でしかありませんが、おそらく、提灯の明かりに誘われて川のほとりに座ったのでしょう。ヨーヨーが川に落ちたので拾おうとしたのか、前日の雨でぬかるんだ道に足を取られたのか。そのまま川に落ちて、とんやんは命を落としました。帰ってこないとんやんを家の人が心配して騒ぎとなりました。村長の命令で、夏祭りを切り上げて村の人たち総出で捜索にあたりました。明くる朝、幼い子供の死体が隣の村との境界あたりで見つかります。楽しい夏祭りが一変して、村全体が悲しい雰囲気に包まれたそうです。とんやんをよく見ていなかった事を子供たちは親からきつく詰められました。子供たちはそれもまた理不尽なような、たしかに自分達のせいであるかのような重苦しい気持ちになったまま過ごしていました。

 さて、亡くなったとんやんの死体は家に戻らず村の神社に運ばれました。これも、私の村独特の風習で、お盆の時期に川で亡くなった死体は神社で一晩を過ごすというのです。理由はさまざまな言い伝えがありはっきりとしたものはわかりません。神聖な川に「死」という汚れがついたので清めるためとも言われています。
 その一つに、河童が死体を齧らないように、というものがあります。
 当時のガキ大将の「はま」がこの話を持ち出し、騒ぎ立てました。とんやんが死んだのは俺たちが見ていなかったからでは無いと。河童が引き摺り込んだのだというのです。夏祭りという非日常の雰囲気と、死人が村の中で出たという緊迫感が子供達を煽り立てたのでしょう。はまの言葉に村の子供みんなが賛同したと言います。勢いに乗ったはまは、夜、神社に忍び込んで河童を捕まえると言い出しました。ガキ大将はまとその子分たちは夜中に家を抜け出して神社に集まったそうです。何故か父もその輪の中に加わっていました。

 午前三時は回っていたと言います。電灯もない真っ暗闇の中、背の高い竹が夜風に吹かれて気味悪い音を立て、まるで誰かが泣き叫んでいるようだったそうです。真夏だというのに生ぬるい風が父達の頬を撫でました。とんやんの死体が置かれた本殿は鳥居から五十メートルのところです。はまやんが「よし、行くぞ。」と号令をかけました。みんなで鳥居をくぐった、その時です。つん、と生臭いにおいが父達を包みました。それと共に「じょりじょりじょり…」と得体の知れない音が響いたといいます。父達は叫び声を上げて一斉に退散しました。

 次の朝、村は大騒ぎでした。とんやんの死体に何かが齧ったあとがあるというのです。父とはまやん達は神社に行き、大人たちをかき分けてその死体を見たそうです。青白くなったとんやんの死体は、まるでさっき川から上げられたように水で濡れていました。そして、とんやんの小さな右耳の耳輪は欠けていました。その切り口はギザギザとしていたそうです。そしてやっぱり、何かの腐ったような生臭いにおいがしたといいます。
 これが、私の知る河童にまつわるお話しです。

1/1
コメント(1)
  • 海と同じで、お盆は川に入ったりはダメなんですね。

    2022/10/30/16:51

※コメントは承認制のため反映まで時間がかかる場合があります。

怖い話の人気キーワード

奇々怪々に投稿された怖い話の中から、特定のキーワードにまつわる怖い話をご覧いただけます。

気になるキーワードを探してお気に入りの怖い話を見つけてみてください。