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不思議体験
亡き祖父との不思議な再会
長編 2021/02/11 12:12 701view
これから紹介する話は今から7年ほど前,第一子である長男を出産した後に体験した不思議な話になります。その不思議な体験の話をする前に,まずわたしの幼少期からの祖父と私の関係について話したいと思います。

私の両親は共働きでほとんど自宅にはおらず,幼いころの私の相手はいつも祖父でした。私が幼いころの祖父は,私が幼稚園バスで送られてくるころにはいつもおやつと飲み物を用意して待っていて,何もしても怒らず,私をとても甘やかしてくれる人でした。

おかげで,平日ほとんど両親と話す時間がなくても寂しい思いをすることはありませんでした。私にとっては祖父といることが当たり前で,いつまでもずっと一緒にいるものだと思っていました。
そんな祖父に癌が見つかったのは,私が小学校高学年のころでした。この頃には祖父とは完全同居から敷地内同居となっており,わずかですが,物理的な距離ができていたことことに加え,小学校での友人,習い事での友人など祖父以外との人間関係ができており,以前ほど心理的にも祖父に「べったり」ということはなくなっていました。しかし,それでも祖父はいつまでも一緒にいることが当然,という考えは不思議と,無くなっていませんでした。そんななかで,祖父の癌が発覚したのです。幸いにも進行状況は初期の段階で手術と薬物療法で生き延びることができました。ですが,この一件から,祖父はいつか死んでしまうもので,離れてしまうものだと,言いようのない,不安とも違うモヤモヤとした思いが時折,ふっと思い浮かぶようになりました。

実は私の実家は農家ではありますが,江戸時代から続く家系で代々と受け継いできた農地がたくさんあります。祖父はことあるごとに私や姉に,所有している土地の場所や大きさ,かつてそこで何を耕作していたのかを話していました。そして,その度に決まって「今持っている土地はずっと昔から受け継いできたものだから,どんなに困っても決して売ったりあげたりしてはいけない,必ず守って次に引き継がないといけない」と言っていました。

祖父がこの話をしている時点で,すでに祖父も父も離農しており,わずかに自宅の近くの田んぼと畑で自分達が食べるだけの米と野菜を作るのみでしたが,それでも土地を持っていることを大切に思っていました。幼いころには,よくわかりませんでしたが,成長するに連れて,そして,祖父の死を意識し始めたころから,自分が継がなければならない,自分が子どもを産んで,この土地を守らなければならないと,そう思い込むようになりました。姉もいたのに,なぜか自分1人でどうにかしなければ,ならないと思っていました。今思うとおかしな話です。おそらく,ずっと祖父に面倒みてもらっていたことから,自分が祖父の願いを引き受けるべきだと思いこんでいたのだと思います。

このようなことから,良くも悪くも,祖父からの「土地を守れ」という言葉によって,結婚を意識するような年齢になると,相手が長男ではないか,長男でないとしても自分の苗字になってくれるか,将来は自分の実家に住んでくれるのかなどを考えたうえで相手を探すようになっていました。長男ではなく,苗字を変えてくれる男性など滅多にいるわけないと思っていたら,大学卒業というとてもいいタイミングで現在の夫と出会いました。夫は,次男で,自分の苗字にはあまり執着がない人でした。共通の趣味を持っていて,話しやすい,これは逃してはいけないと,出会ってすぐに,結婚の話や自分の実家の現状を話しました。このことについては,夫は「実はかなり引いた」と結婚後に話してくれました。それでも,結婚を前提に付き合い始め,交際1年ほどで結婚を決めました。

交際1年での結婚に,父は,はやすぎると反対していましたが,私がここまで急いでいたのは,この当時,祖父の癌が再発,全身転移が認められ余命がわずかという事情があったからです。祖父が生きている間に子どもは無理でも,せめて結婚したことを報告したいと思っていました。結局,私の父が折れて,祖父が存命の間に入籍することができました。もちろん,夫は私の苗字となりました。私の母によると,祖父は,孫が結婚する,しかも苗字は変えないでいてくれると,友人や親せきたちに嬉しそうに話していたそうです。私は祖父の不安をひとつぬぐえたのではとほっとしたのを覚えています。

さらに運のいいことに,入籍後すぐに妊娠することができました。この頃の祖父の体調は安定しており,ひ孫の顔を見せられるのではと嬉しく思っていました。しかし,出産まであと3か月というところで,祖父の体調は急激に悪化しました。入退院を繰り返していましたが,自力での歩行が困難になったことで自宅での生活を断念せざるを得なくなりました。祖父は終末期病棟に入院することになりました。そして,あっという間に,ひ孫の顔を見ることなく亡くなりました。この頃,私は実家とは違う県に住んでおり,最期の瞬間には立ち会えませんでした。姉から亡くなったと電話を受けましたが,よく覚えていません。気が付けば祖父の葬儀は終わっていました。

しかし,祖父の死に落ち込んでいる間にも,お腹の中の子は成長しており,祖父の死から立ち直る間もなく出産となりました。初めての出産は,とにかく痛くて,いきみながら意識を飛ばして,意識が戻った時には出産していたという情けないものでした。母体に異常がない限り,産後すぐに母子同室という病院の方針で,すぐに子どもと二人の生活が開始となりました。授乳の仕方もおむつのかえ方もわからないまま育児がスタートし,本当に不安がいっぱいで,祖父の死なんて引きずっている場合ではない,という状況になりました。

出産は自宅近くの病院でしたが,退院後は自宅ではなく実家に里帰りしました。自宅に到着して,空になった祖父のベッドを見て,祖父はもういないこと,ひ孫を見せられなかったこと,どうしようもない後悔のようなもので心がいっぱいになりました。仏壇に手を合わせ,祖父に無事に生まれたことを報告し,直接見せられなかったことを謝りました。

仏壇に挨拶をした後,とても疲れていたので寝ることにしました。子どもは慣れないチャイルドシートに,実家にたどり着くまで2時間ほど大泣きした後だったので,よく寝ていました。子どもの隣に横になりましたが,祖父に対する後悔とこれからの育児がうまくできるのかという不安に涙は出ませんでしたが,息がつまりそうで寝付くことができずにいました。産後特有の情緒不安定さもあったと思いますが,世界に子どもと二人取り残されたように感じ,とにかく胸が苦しかったのを覚えています。

しばらくその状態が続き,その疲れからようやくウトウトし始めた時,部屋の入口に気配を感じました。母か父が来たのかと思い,そちらに視線を向けると,そこには生前の元気な姿の祖父が立っていました。幽霊のように透けているとか,怖いとかそんなことはなく,はっきりとそこに立って笑って,ひ孫を指さす祖父が見えました。頑張ったね,よくやった,そう言っているように感じました。その瞬間に,涙がボロボロとこぼれてきて,私の中にあった苦しい気持ちがスーッと溶けるように消えていきました。気負わなくて良いのだと,ゆっくりと子どもと成長していけばいいのだと,とても穏やかな気持ちになれたことを覚えています。ありがとう,と言おうと思った時にはもう祖父の姿はありませんでした。

今思うと,私の願望が見せた夢かもしれません。でも,私は祖父がひ孫の顔を見に降りてきてくれたのだと思っています。
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記事編集(作者用) 作者プロフィール
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コメント(1)
  • うるっときました

    2021/02/11/18:19